江戸切子の和食器  

江戸切子の器

江戸切子

江戸末期に長崎を玄関口として海外のカットグラス技術を導入して本格的に始まった日本の切子硝子。まず江戸に伝わり「江戸切子」になるのですが、当初は厚い色硝子の被せではなく、透明な透きガラスに細工をしていたようです。色被せガラスは、後発の「薩摩切子」が先だったわけです。

しかし幕末の動乱で消えた薩摩切子と違い、江戸切子は明治・大正・昭和と途切れることなく発展を続けます。それは民間から起きて庶民の物となった江戸切子と、殿様のお声がかりで起きた官製とも言える薩摩切子の違いだったかも知れません。

おそらく江戸切子が最も盛んだったのは大正から昭和の前期でしょうか。1970年代頃より「伝統工芸」への道を辿るしか道はなくなったようです。(昭和60年に東京都から、平成14年には国から伝統工芸の認可)

高度成長期が終わり、社会構造の変遷と歩を同じくして日本人の生活様式も大きく変わってしまい、世のライト化に迎合しにくい職人仕事である江戸切子は売れなくなってしまったのです。正確に言うと「安くで売れなくなった」と言うべきでしてね、要は「大量生産時代」に置いていかれたという訳でしょう。この構造は一事が万事で現代日本の病根にもなっている側面がありましょうね。つまり切子(本物の)は生き残るために「美術品化・高級化」する他なかったのです。

江戸切子の特徴は独特の切削模様。
伝統的な江戸切子は精緻な斜め格子模様が切られ、
それはまるで美しい魚の鱗のような感じがします。
なので、この模様を【魚子(ななこ)】と呼ぶようになったと云います。
(「斜子」「七子」の字を当てることもあり、7月5日は江戸切子の日)
(本来の魚子紋は魚卵の様に粒々を浮き出させたもの)

新鮮な大鯛が太陽光線でキラキラ輝くかの様な美しき光輝。
その自然の彩なす煌きこそ、江戸切子の真骨頂と言えるかも知れません。

他によく使われる文様は、矢来・籠目・菱・菊・麻の葉など庶民的なもの。それに隅田川の花火に因んだ花火紋です。(切子はほとんど城東地区で作らている。つまり隅田川に縁が深い)
たんに魚子を流した模様もあれば、上記紋を魚子で表現したりするわけです。

江戸切子は酒器として豪華ですが、料理を盛る器としては難しいです。このような自己主張の強い器にどんな料理を盛ればいいのか。普通はそうなります。

しかし手強いからこそ面白いんですよ。
「江戸切子に料理を盛れるかどうか」
そこが料理人としての腕の見せ所でしょう。
あるいは感性(センス)の有無をはかるテスターです。
ヒントは掻敷の使い方になりましょうか。
切子の文様と料理を「直接対決」させない事です。

Copyright © 2017 手前板前 食材館. All Rights Reserved.