高倉の島より

わんのブロクんきゃ いもりんしょーれ
(私のブログへようこそ)

あげっぇー ぬが~

なんきゃ がっし

ふるむんぐぁーにし しゅんがや

ばかっきゃが っち どっ

うちくるされんどゃ

使い方違ったらごめんね、、、、おばあちゃん。。。

 

去年はあった名瀬市が消えておった

合併で奄美市になったという

うむ~

地名が完全に消えるちゅーのは

ここで生まれた人にはかなり複雑ではないかのう

 

泥染めちゅのを見ましたよー。。。

胸まであるゴム長靴(?)穿いてぇ

田んぼの泥の中に入って糸を染めるの

そいであの渋い紬の光沢になるんだって。。。

 

東シナ海と太平洋に挟まれたこの島は

亜熱帯に属しまするでありんする。。

さとうきび生産の北限でござる
(本州でも栽培可能ではあるらしいけど)

今は収穫の最中で大忙し

12月から五月にかけて製糖工場が動き

ウギ(さとうきび 沖縄ではウージ)は

冬のボーナスになるんらしい

おじいちゃんが

「食べてみらんねマルちゃん」

ちて ゆうてくれたけん

犬みたくね、、う~わんわん ちゅってから

そんままかじったら すげー硬かった。。。

んでもすぐ食べ方学習したけど

バナナみたいに剥くの、、、歯で。。
(普通はカマやナタで)

甘くて旨ぇ~~~。。。。。。

 

「いいがーすわっとらんねマルちゃん」

ち 言われたけんど

「力あるから大丈夫よっっほほほほ}

って 手伝った。。。

「はっげー 男みたいじゃが

なんでそんな力持ちねー」

おばあちゃん。。。

しかしじゃね、、、、、

予想を超えた重労働であった。。。。

キビの束の重いことったら。。。。。。。

 

そいで帰ったらね

まだ夕方だっちゅのに

黒糖焼酎ば飲んで~~~

おばあちゃんのお手製のぉ~~~

マンビキ(シイラ?)を味噌に漬けた

魚味噌を食った

あー美味ぇぇよう。。。

したらばネ

7時前に寝てしもうた

口ば開けてヨダレたらして。。。。。。

んだから変な時間に目が覚めたよん

ん~~~寝れん。。

 

この島は悲しい歴史があるのでするが

今日は何故か書きたくない気分で

ござそうろう。。。。

真夜中の海でも見てくるけん。。。。

う~~~~わんわん

 

◯月◯日 遠足前夜のキモチ

にゃはは

困ったもんじゃぃ。。。

旅ばっかしょったけん、、、、、

すっかり 「尻の軽い女」 になってしもうた

ん~~~~~島に行きたいょおぉぉぉ っち

思っとったらばね

いつの間にかチケットが机の上にあったのん

どはははははははははははははははは

座敷わらしでもおるんかのう ワシん家

 

にけけけ 珊瑚礁までヒトッ飛びじゃぁ~

ハブをば捕まえて、、、

焼いて喰うぞいっっ

・・うまいのかしら、、、、アレ。。。。

 

 

ちゅか今年は寒くないけん

スーツ無しで潜れんかのう そいはちと無理か。。

なんぼ南ん島じゃっち

1月に水着だけで海におったら白い目で見られそう

んにゃぁぁ マリンちゃんでけんのかぁ

 

なんかワシ

よっぽどあそこがお気にみたいじゃぁ~

こんな遠足の前夜みたいなウキウキ気分は久しぶり

ちゅーわけで

おじいちゃんおばあちゃん待っててねー

またお世話になります。。。

飛んでいきますよ~~

 

◯月◯日 リハビリ旅行

わははははははははははははははははははははは

とかなんとかゆいながら

ワシゃケッコウ元気じゃぞい。。。。。。

まだリハビリ中で調子は今ひとつなんじゃが

親友のE子が帰国するんじゃよ。。

ワシをば置いて

青めんたまの国になぞ行って

意味の分からぬ勉強なぞしおってからに、、、、

それ以上ドタマが良くなって

どうしようというんじゃ

バカ者めが。。。。

まぁ・・・・・・・・・

空港まで迎えに行ってやるけん。。。。。。。。。

 

ノートPCを抱えて

ネット環境をモバイルしつつ

ふらっと独り旅をばしてまいりました。。

ワシは格闘技の奥義を会得してるうえに

冷静かつ臨機応変に

機転をきかせる事がでけるので

おなごの独り旅でもなんら危険はないのじゃ

どんなとこでも行くぞい

のははははははははは

まず沖縄に一日

沖縄本島の観光スポットは

東シナ海に面した西海岸に集中しており

パック旅行などでは

だいたいにして西の国道58号線を

南北に移動して終わりです。。

しかしワシは

半ウチナーでありますからして

静かな太平洋側の東海岸をば

車で流してきました。。

北中城村あたりから

国道331号を北上開始、、、

目指すは本島最北端

辺戸岬であります。。

途中で

人っこ1人見当たらない

真っ白い砂浜で一休み、、、、、、

太平洋に魂を飲み込まれそうになりながらも

なんとか持ち直し

のんびり4時間くらいかけて

辺戸岬に到着。。。

 

そして翌日

こないだお世話になった

奄美大島のおばあちゃんのトコロに、、、、

那覇空港から笠利の奄美空港へ。。。

名瀬市(奄美市)を少し見物して

瀬戸内町のおばあちゃん家に向かう。。

さっそく三味線を取り出し

島唄を聴かせてくれる

優しいおばあちゃんとおじいちゃん。。。。。

島にお嫁さんにおいで、、、と

しきりに言う二人。。。

嫁はともかく、、、

移住には心が動いたりする。。。。

 

沖縄の田舎や離島でもそうなのだが

奄美でも一際眼につくものがある

それは

子供達の目の美しさだ。。。

都会とはあきらかに違う

アフリカやアラブやアジアの途上国で

みられるような

あの

ギラギラした強い光を放つ

輝く眼である。。

近くの小学校で

子供たちの絵の発表会を覘いてみたのだが

心が浮き立つ様な感動を受けた。。

素直な心が

ストレートに顕れておる絵に

いつのまにか顔がほころぶ。。。

 

奄美ゆかりの画家といえば

みなさんは 田中一村 をご存知かな?

明治41年栃木県に生まれた一村は

東京芸術大学日本画科に入学

将来を嘱望されながらも

病気や生活苦の中で

中央画壇とは一線を画し

清貧の極みで絵を描いておりましたが

昭和33年50歳の時に

奄美大島に移り住み

大島紬の工場などで下働きなどしながら

衣食住を切り詰め

食うや食わずの赤貧生活を続け

昭和52年

不遇のまま

69歳でその生涯を終えました

奄美の自然と動植物を描くタッチは

極彩色の色彩感が際立ち

さらに

リアルな線描写により

浮き出すようにテーマはきらめき

圧倒的な存在を主張します

 

あきらかに 天才 の絵です

 

7才で神童と騒がれた程の実力の持ち主でしたが

日本画画壇の権威主義に反発し

長い間美術界にはしられずにいた

日本のゴーギャン

田中一村

みなさんも奄美に行かれる事がありましたらば

ぜひぜひ

田中一村記念美術館  に立ち寄り

その 凄い絵画を

御覧下さい

 


 

おかえり~(^-^)
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月11日 22:02

しばらく読まないと、、ちょっとイライラしていました。
マル中(毒)になってるのかもしれません。
無事にご帰還 感謝します。

この作家の世界感・
私には到底理解できる物ではありませんが
吸い込まれそうで、少し哀しくて、懐かしくて
この絵の世界に入り込むべきか抑えるべきか
しばらく立ち尽くした事があります。

久しぶりに聞いた話題でうれしくて
ついつい書き込みました。
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月12日 00:04

マルちゃん!! おかえり~!
元気じゃったか?風邪などひいとらんか?(←何者?)

結構・・早かった・・ですね(^^;
いえいえ冗談です。とても嬉しいです。

私、絵の心得はないのでただ美しいとしか形容できないのですが、
2枚目の下のほうの薄紫色の花。

陽も当たらず、葉っぱの影に隠れて、でもほんのり光を放っている・・。
「そうだよな、そうなんだよな・・」などとぶつぶつつぶやいてしまいました。
マルちゃんが解説してくれた田中一村という方の生き方が見えるようですね。

ほいだら。
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月12日 11:35

そうカー。マル子さんの”しばらく”は3日間であったか・・・私の”しばらく”は、多分、2週間位? マル子さんは元気ですな。又、名調子を聞けるとという訳ですね。

Posted by ◯◯◯ at 2006年05月12日 12:37

こんにちわ~
僕はまだ沖縄に行ったことがないので
一回いってみたいな~
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月12日 16:42

まだまだ、再生までは時間をかけてジックリと煮込むのじゃ。
そうすると、美味しい人生のスープが出来上がる。
インスタントでない時間を過せるというのは大切な事じゃぁ~
では、また美味しいスープご披露くだされよぉぉぉ。
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月12日 17:46

こんにちは

田中一村さん
すごい絵を描かれる画家ですね。

覚えておきます。
ありがとう
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月13日 21:10

はじめまして。
いつも拝見しています。

田中一村記念美術館へ行かれましたか・・・
以前デパートの展示会で田中一村の絵を見て、衝撃を受けました。

また 彼の生き様の凄まじさ、この世の不条理さ理不尽さにショックを受けたまま出口からエレベーターホールへと向かうと、鶴太郎の絵はがきが売っていて、ずっこけたのもおぼえています。

私もいつかは奄美の記念美術館へ行こうと思っていたので、思わず書き込みしてしまいました。
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月13日 22:33

はじめまして
いつも楽しく読ませていただいています

ところで、奄美の黒糖焼酎「奄美の杜」はご存知ですか?
ラベルに田中氏の作品を使用しているんですよ

現在、それを飲んでいまして遥か遠い南の地に想い馳せています

むむむ、よく考えてみれば奄美ではエライたくさん売ってるかもしれませんね

これからも楽しみにしています

がんばってくださいね
Posted by ◯◯◯ at 2006年05月14日 22:07

「ウギ」とおっしゃるのですね。
忘れていた「琉球」と「大和」の文化圏探索に火がつきそう。
いざ、加計呂麻!(しかし、机の上には、チケットがない。)
商業生産(製糖工場所在地)の北限である種子島で「オゥギ(オーギかも?)」と言うのは、もしや。(大和文化の南端に近いため古典発音が現存(?)する。文字にはしづらい、「クヮ」の発音も。)
大分には、「リュウイモ」(サツマイモ)も存在するが、琉球からの伝来碑のある種子島では、唐芋である。
種屋久地方、トカラには、琉球芸能も伝来しておる。
薩摩の非礼を先祖に代わって、ごめんなさい。
「調所」公と関わりのあるもので...。
Commented by ◯◯◯ at 2007-01-26 20:04

「アマミ」の由来からして明らかに琉球圏に属し
しかし沖縄でも、また日本でもない
それがあの島の文化です

支配され続けでしたが
その琉球は薩摩に
薩摩は明治新政府に
歴史ははかないものです
祖先が行った責を問うても詮の無い事でするよ

平安京の時代の日本語は
現代人と異なるといいます
言語学的に琉球語に近かった
そう考える学者がいたりして
面白いですね
縄文と弥生の端境期に
想像が膨らんだりいたします
Commented by ジョーンズ・マル子博士 at 2007-01-26 21:54

コメント

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